工作教室で想うこと
夏休み中は、望遠鏡やプラネタリウムの工作教室といった工作系の仕事が多くなる。もうかれこれ25年ほど続けている企画もあるが、親子参加の企画は、低年齢化がどんどん進んでいる。かつては、小学校高学年から中学生の参加が多かったが、近年は小学校低学年はおろか幼児の参加が増えてきた。望遠鏡もプラネタリウムも幼児では手に負えなので、ほとんどの部分を親が作ることになるのだが、これはもう致し方ないこととあきらめた。ところが今年はまた少し様子が変わって来た。なんと、カッターナイフやこぎり、ドライバーの使い方がままならない大人が現れたのだ。工具の使い方は少なくとも中学の技術家庭科で習っているだろう。結局のところ習ったけれどそれを実践する機会がないということか・・・どんどん便利な社会になり、ちょっとした日曜大工や修理をしたりするよりも、買ってきたり業者に任せたり買い替えたり、自分自身で大工仕事で何かを作ったり修理する必要がなくなったということなのだろう。
もっと驚いたのは、読書感想文や自由研究の代行サービスが、ビジネスとして存在しているという事実。かつては、8月31日に親子で必死に片づけた夏休みの宿題も、とうとう外注になってしまった。
また、小学校4年生以上の子どもが参加する望遠鏡教室では、作った望遠鏡キットに、シールを貼ったり絵を描いたりして、マイ望遠鏡に仕上げましょうと課題を出すと、どうしていいかわからなくて、スマホで調べ始める始末。自分で考える前に簡単に答えを見つけようとする。AIが普及して、今や文も絵も曲も作成はすべてAIにお任せ。おまけに人間が作るヘタなものよりもはるかに上手。
かつてパスカルは「人は考える葦である・・・」と言った。人間は小さく弱いものだが、考える力を持っている。深く思考することこそが人間の証だ。というような意味だ。その人間はいったいどこまで無能と化し落ちようとしているのか・・・もっと深く考える癖をつけよう。
そんなことを考えさせる猛暑の一コマだった。