正義って何?
中島みゆきさんの「Nobody is Right」という歌を聴いていてふと思ったことがある。
正義って何だろう?正しい義。よく「正義のために」とか正義のための戦争」とか言うので、すごく完璧な良いことように思えてしまう。では、義とは?一言でいうと「人としての正しい思い」だ。
ところが、人の心は移ろいやすいしプライドもある。ということは、「義」というものは、その時その場や思いによって変化することになる。「正義」に絶対はない。その良い例が、戦争だ。勝った方が「正義」になるのだ。つまり「正義」は相対的なものであって、それぞれの都合で使われる言葉ということになる。では、「正義」の対義語は?すぐ思いつくのが「悪」。だが「正義」が相対的なものなら、必ずしも「悪」とは限らない。というわけで辞書で調べてみると「正義」の対義語は「不義」とある。辞書らしいもっともな回答だ。
それぞれがそれぞれの心に「正義」があるのならば、「俺の正義」の対義語は「お前の正義」ということになるのかもしれない。
では、「悪」の対義語はとうと「誰もが躊躇なく「善」と答える。「善」とは「人としての良い行い」。それは純粋で嘘偽りのない完ぺきさを感じる。ギリシャ神話に登場する正義の女神アストライアは、「善」の心を人々に育ませようと孤軍奮闘したが、結局成就することができず、怒り嘆き悲しみながら天に帰って行ってしまい、世界は鉄の時代になってしまった。その時から「善」の対義語の「悪」が人の心に宿ってしまった。つまり人間は完ぺきではない未完成の生き物。世界のトップにいる人たちは、「我々が正義だ」と拳を振り上げ声を荒げ、人々を煽り世の中を分断しようとする。そういう人たちのことを「偽善者」というのではないのか。本当に心の底から「善」の心で世界の平和・人類の幸福を考えているのなら、決して今日のような状況にはならなかっただろう。
人間が未完成である以上、世の中には表と裏がある。以前は表側しか見せられていなかったが、最近は裏側も見え隠れするようになってきた。正義があやふやなように、どちらか片方だけが真実であることなどあり得ないだろう。私たちは流れてくるたくさんの情報に流されることなく、多角的に物事をとらえてじっくり深く考え善の心を大切にして生きて行く必要がある。